2010/10/31

神無月

10月、神無月。
はじまりの日に、祖母が他界した。
おしまいの日の今日は、ひどく穏やかな一日だった。

明日、神様が出雲から帰ってくる。
私の神様もあなたの神様も帰ってきますように。

2010/09/24

はんぶんこ+1のセンチメンタル

はんぶんこ+1の今日は、風がつめたい。
はんぶんこの日が、こちらとあちらを、徹底的に分かち、それはなんだか象徴的ですらあるな、などと考える。

此の岸、彼の岸。
しがん、ひがん。

おセンチはちょっぴりやっかいだ。

たっぷり睡眠をとったら、街に出よう。

2010/09/20

はんぶんこ

あと3日で秋分。
昼と夜が、はんぶんこの日。
気温もこの日を境に、ぐっと下がりそうだとニュースキャスター。
今年はしぶとかった夏も、秋にすっかり回収されようとしている。

私は秋が苦手である。
苦手の感は、年々強まるばかりである。

そういえば、エヴァンゲリオンの世界には、セカンドインパクトにより“夏”しかなかったのではないか。
四季から、夏以外が逃げていったとしても、私は一向に構わない。

2010/08/25

真夏のおしまいのあれこれ

二十四節気では処暑。
しかし、連日35℃近くの暑さが続いている。
あんまり日差しが強いので、ここのところは日傘を差して駅までの道を歩いている。

真夏の真ん中からおしまいにかけてのあれこれを箇条書き。

・お酒ばかりを飲んでいる。
・1945年から1998年にかけての核実験を世界地図上に視覚化した映像作品を観る。
・私の生まれた1981年でも、幾発もの核兵器が炸裂していた。
・私の恋人の生まれた1980年でも、幾発もの核兵器が炸裂していた。
・父の生まれた年にも、母の生まれた年にも、弟の生まれた年にも、核兵器は炸裂していた。
・屋久島でのトレッキングで、身体のほうぼうに作った、痣だの擦り傷だのが完全に消滅。
・“喉元過ぎれば熱さを忘れる”のかなんなのか、次に登る山のことを真剣に考えている。
・そのわりに体力作りはおざなり。
・仕事が忙しく、その忙しい状態が、長期的に続く見込み。
・週末を使って帰省。
・午睡をし、蝉が蟷螂に捕食されるさまを眺め、犬と散歩をし、呆けたようにして過ごす。
・伊豆では冷房のスイッチに触りもしなかった。
・不在は実在を際立たせる。
・ゴルフの打ちっぱなし初体験。
・2010年の目標“ゴルフを始める”を最低ラインでクリアか。
・間に合わせではあるけれど、グローブも購入した故。
・しかし、アイアンが重い。
・周りには「クラブに振り回されている」と囃される始末。
・自身の圧倒的な筋力不足を痛感。
・「董卓討つべし!」という掛け声で起こしてくれる、まやや様仕様の目覚まし時計が欲しい。

2010/08/02

屋久島 旅の記録―3日目〈白谷雲水峡〉

8月1日(日)

3:30 起床
4:20 チェックアウト
4:30 縄文の宿 まんてん発
5:15 白谷広場着
5:30 白谷雲水峡へ

朝食を車内で済ませ、夜明けと共に森へ入る。
入口付近は、遊歩道が整備されている。
飛流おとしと呼ばれる滝が迎えてくれる。

前日の縄文杉へのトレッキングの疲れが残っている為、なかなか足があがらない。
ガイドブックから受ける印象以上に、道のりは困難。
高低差も体感値が実際の数字を上回る。
吊り橋を渡って、60分ほど黙々と進む。
途中、沢も渡る。
緑がどんどん深くなる。
緑にもいろいろな種類がある。
苔の森がひろがる。


いわゆる、もののけの森。
数ある宮崎駿の作品の中でも、とりわけ「もののけ姫」にはおもい入れはない。
でも、東京に戻ったら、観直してみようか。

苔がきらきらと光を放つ。
なんて美しい世界。
完璧な世界。


赤いテープを目印に、森を更に更に奥へ進む。


道のりは険しく、体力にも筋力にも気力にも、一切の余裕がなくなる。
苔の森の先、辻峠を登り切ると、太鼓岩という巨大な一枚岩がある。
視界がひらける、絶景のパノラマ。
白谷雲水峡の苔の森に次ぐ見どころ。
しかし、その急峻な峠を前に、私は太鼓岩まで向かうことを断念する。
K氏に託したカメラが、私の代わりに光を集める。


ああ、私も自分の網膜で光を集めたかった。
でも、私の肉体がそれに及ばなかった。
悔しい。
けれど、仕方ない。
自然は厳しくてこわくて容赦のないものだから。

9:45 下山

宮之浦へ出、登山レンタル用品を返却。

10:45 楠川温泉

ここの温泉の泉質は好みで大変よかった。
やわらかく、皮膚が少しぬるぬるとする。
汗を流して、さっぱりとした気持ちで安房港へ向かう。

12:00 昼食

〆も地のもので。
「屋久どん」という安房港近くのお食事処に入る。
Sさんは飛魚の姿揚げ定食、A氏は地魚の南蛮定食、K氏は地魚のフライ定食、私は屋久島うどんをオーダー。

13:10 安房港着
13:30 安房港発

帰りは高速艇を利用。
全員があっという間に眠りに落ちた。

15:30 鹿児島港着

タクシーで鹿児島一の繁華街天文館へ出る。

16:00 夕食

昭和25年創業の老舗「こむらさき」で鹿児島ラーメンを食す。
とんこつベースの塩ラーメン。
キャベツの細切りがたっぷりと乗ったラーメンは、なかなかに美味。


16:30 リムジンバスで空港へ
17:30 鹿児島空港着
19:10 鹿児島空港発
20:50 羽田空港着
22:45 帰宅

屋久島という圧倒的な自然の中で、動いて動いて動いた3日間。
体中に痛みと、その痛みの中に鮮烈な記憶が残っている。

二十代のおしまいに、この経験ができたことを幸運におもう。

屋久島 旅の記録―2日目〈縄文杉トレッキング〉

7月31日(土)

3:00 起床
3:50 縄文の宿 まんてん発
4:20 屋久杉自然館着
4:40 登山バス発

マイカー規制が敷かれている為、登山バスで登山口を目指す。

5:15 荒川登山口着
5:30 入山

登山口で朝食をとり、A氏の号令で準備運動。
夜明けと共に入山し、一路縄文杉を目指す。
前半は高低差の少ないトロッコ道をひたすらに歩く。


このトロッコ道、延々8㌔続く。
単調でなかなかにつらい。
1時間ほど歩いたところで強烈な眠気に襲われ、早くも不安をおぼえる。

トロッコ道には、いくつもの鉄橋がかかっている。
中には手すりのないものもあり、スリルがある。


トロッコ道の後半、「歌をうたうと気持ちが紛れていい」というSさんのアドバイスで、声を出してみる。
これが効果覿面。
眠気とトロッコ道を、なんとかやり過ごす。

大株歩道入口から、山道に入る。
トロッコ道とは打って変わって、勾配が激しい。
景観も豊かで気持ちが盛り上がるも、想像以上に山道が険しく、すぐに足取りが覚束なくなる。
岩や木の根を必死に越える。


ウィルソン株に辿り着いた瞬間、頭の中にしかなかった屋久島の森に今、実際に自分の足で立っているのだ、という実感が降りてきた。
人が住めるほどの大きな切り株の空洞には、きれいな水が湧いていた。


体力も筋力もとうに限界を迎えていたが、気力でなんとか足を前に出す。
仲間が気遣ってくれる。
A氏にザックの中身の半分近くを預ける。
「つらくなったら荷物は俺が持つから」と、計画段階からA氏は表明してくれていたが、まさか本当に持ってもらう羽目になるとは。
でも、なりふり構っていられる状況ではなかった。
もう歌もうたえない。

私は本来、ここへ来るべきではなかった。
私はここへ来れるほどの肉体を、持ち合わせてはいなかった。
ひろがる森がこわい。
縄文杉を目指す人は大勢いるのに、私はひとりぼっちでなんて無力。
噎せるほどに濃い自然の中に、私しかいない。
限界をふりきり、その境界の縁の縁で、みっともない肉体のすべてを使って、前に進む。
自分の肉体を使わなければ、ここへは来れないし、自分の肉体を使わなければ、ここからは出ることもできない。
そのうちに何も考えられなくなる。

そして、縄文杉に出会う。


樹齢7200年とも2170年とも言われているが、定かではないらしい。
森の王者。
いや、森の賢者。
静かに佇んでいる。
その姿を目にすると、巨木信仰というものを、すんなりと理解できる。

じんわりと気力が湧いてくる。
帰路、その気力と、仲間の励ましで、手足を動かす。

見られなかったものが見られたこと、知らなかった気持ちを知ったこと。
それが、少しだけ自信に繋がった。
自分の肉体を等閑にしてきたことを、反省もした。

16:45 下山

入山から実に11時間15分。
50分歩いて10分休憩、というリズムで歩を進めたので、9時間以上、歩いていた計算になる。

あとから聞いたことだが、Sさんは道中、自分の心配より、私の心配で頭の中を占めていたそうだ。

Sさん、A氏、K氏には、感謝の念でいっぱい。
私を日常からはるかに遠い場所に連れてきてくれて、ありがとう。

17:00 荒川登山口発
17:40 登山バス着
17:50 屋久杉自然館発 
18:15 縄文の宿 まんてん着
18:30 入浴
20:00 夕食
21:30 就寝

屋久島 旅の記録―1日目〈島内一周〉

少しだけ早めの夏休み。
真夏の屋久島へ行って参りました。

実際の距離以上に遠かった憧れの地を、私に引き寄せてくれたのは、友人夫妻のお誘い。
迷いなく、屋久島行きを決めました。

鮮烈な体験は、今この瞬間も、ものすごい速度で記憶に書き換えられてゆきます。


7月30日(金)

3:55 起床
6:50 羽田空港発
(鹿児島空港経由)
11:00 屋久島空港着

プロペラ機の窓越しに、緑の島が視界に入り、感情が昂ぶったA氏は「三半規管が燃え尽きるぜ」と呟く。
出発地羽田と経由した鹿児島は雨模様だったが、屋久島は快晴。
K氏曰く「僕は晴れ男」らしい。
レンタカーの契約をし、島一番の大きな町、宮之浦へ。
宮之浦には、コンビニもスーパーもある。
翌日の縄文杉、翌々日の白谷雲水峡へのトレッキングに備え、観光案内所で登山届を提出する。
高校時代登山部だったA氏が頼もしい。
レインウエアやザックカバーなど、必要な登山用品もスポーツ店でレンタルする。

12:45 昼食

まずは地のものを食したい、ということでスポーツ店の店員さんにおすすめを尋ね、「潮騒」というお食事処を教えていただく。
A氏は名物の飛魚唐揚定食、K氏はこちらも名物首折れ鯖定食、Sさんと私は地魚のお刺身定食をオーダー。
お刺身は、甘口のお醤油によく合って、大変に美味。
中でも鯖は名物だけあって絶品。


13:45 島内一周ドライブ

宮之浦から半時計周りで、島の周囲130㌔をドライブ。
ドライバーは前半Sさん、後半はA氏。

14:30 千尋(せんぴろ)の滝

巨大な花崗岩の一枚岩をすべり落ちる滝。


16:00 大川(おおこ)の滝

落差88m。
水しぶきが巻き上がって、迫力満点。
K氏は興奮して滝に近づき、制止するのかとおもいきやA氏も一緒になって滝に近づく。
男性陣はこの日一番の笑みで戻ってきた。


17:00 西部林道

大型車両は通行禁止の山道を行くと、ヤクザルが。
サルだけでなく、シカも見かける。


18:00 永田いなか浜

ウミガメが産卵に訪れるという、美しい海岸。
白砂が沖縄の浜辺に比べると粗くて、素足で踏みしめると大変に気持ちがよい。


19:20 縄文の宿 まんてん着
19:30 入浴
20:00 夕食
21:45 就寝

2010/07/27

真夏のはじめのあれこれ

梅雨が明け、くらくらするほどに暑い日が続いている。
私の一番、得意とする季節。

真夏のはじめのあれこれを箇条書き。

・月末の屋久島・縄文杉トレッキングに向け、トレーニングとトレッキングシューズの慣らしを兼ねて、高尾山に登攀。
・ちょっとしたハイキングに出掛けるような気持ちで高尾山山頂を目指したところ、10分ほどで一抹どころか三抹、四抹の不安をおぼえる。
・登山に綿素材のインナーは禁物という山の常識を、わが身を持って確認。
・それでもやっぱり山頂はいい。
・日本で一番の標高下にあるビアガーデン「高尾山ビアマウント」を目一杯愉しむ。
・実家の父母が育てた、ちょっと形の悪い野菜たちのおいしいことといったら。
・「借りぐらしのアリエッティ」を鑑賞。
・アリエッティの髪型は、断然アップがいいとおもう。
・読書のペースがここへきて乱れている。
・旅支度が遅々として進まない。
・カレーばかりを食している。
・調布市花火大会、きらめく光の玉に夢中になる。
・花火が打ちあがるまでの時間は、ビールをたっぷりといただく。
・都内で1万2千発を至近で、しかも快適に目撃できる花火大会は実に贅沢。
・ただし、トイレの混雑ぶりは始末におえない。
・散々飲み食いしたというのに、まさかの半替玉。
・上野顕太郎先生のコミックス『さよならもいわずに』(エンターブレイン)に抉られる。
・喪失感と苦悩、絶望、そしてささやかな再生が、漫画という表現方法への絶対的な愛と信頼によって、丹念に描かれている。
・停滞していた自身の皮膚から15㍉ほどの世界が、ここへきて一気にほどかれたような感覚。
・それを精一杯愛でつつも、失うことすら恐れずに、前進。
・前進したい。

2010/07/05

29歳のヤキニクエスト その②

29歳の一年も早3か月が過ぎ、宣言どおり、私は、肉を食らいに食らっています。

今日は同僚と焼肉納涼会を富士見台牛蔵にて決行。

実は予約を取るのが至難。
まず、なかなか電話が繋がらない。
やっと繋がっても、いくつかの候補日すべてで撃沈。
「では、いつなら空いていますか?」と問い、待つこと約2か月。

そして、今日。
期待ばかりが膨らんでいましたが、その期待、裏切られませんでした。





(上から、ネギタン塩、ロース・カルビ盛り合わせタレ、ピートロとにんにくホイル焼き)

もう、そのコストパフォーマンスにすっかり魅了されました。
お肉はすべて、所謂A5ランク。
生ビールだのハイボールだのをしたたかに飲み、お腹がいっぱいになるまでお肉を胃袋に格納しても、一人あたり3500円。
そりゃあ、2か月待ちますとも。
このクオリティーで、予約ができる(=その場で待たないで済む)というシステム自体が、そもそも驚き。

東京都には大雨洪水警報が発令されていたようですが、雨に降り降られても、ちっとも苦しくありませんでした。

2010/07/04

日記

日記、ということばが、好きだ。
日記、そのものが好き、というよりは、日記ということばや、日記ということばが喚起するイメージが好きだ。

今年ももはや半分が過ぎ、この記録は日記という体裁からはほど遠い。

はやぶさの帰還とともに、東京は入梅し、しかし、今年の梅雨はあまり梅雨らしくなく、この先に、私の一番得意とする時節が待っているかとおもうと、この湿度さえいとおしい。

2010/06/24

私と踊って:Komm tanz mit mir

ピナ・バウシュの逝去から、もうじき1年、という6月のある土曜日、ピナ・バウシュの逝去の2週間まえに来日公演が決まった演目「私と踊って:Komm tanz mit mir」を観る。

初演は1977年。
1時間半、全1幕。
26名のダンサーが登場する。
舞台には雪に覆われた丘を想起させる白い急斜面と、床の白樺の枝。
「私と踊って」というタイトルそのままに、このことばが男女の結びつきをつくりあげる共通の場を見出そうとなんども繰り返される。

もつれ、ほつれ、やつれ。
ねじれ、よじれ、くずれ。
それ、ずれ、ぶれ。
私は泣いていた。

カーテンコールにもちろん彼女の姿は、ない。

終幕後になかなか席を立てず、部屋に帰り着くその前に、だいぶお酒をのむ。
そしてまた、少しだけ泣く。

2010/06/09

アスパラガス

「お土産」と、アスパラガスを頂戴した。





まずはシンプルに味わいたく、さっとボイルする。
それを卵黄の上にのせ、攪拌した卵白のソースをかけていただく。
旬のものは、味が濃い。
大変に満足。

さて、明日はどうやって食べようか。

2010/06/02

訃報 大野一雄

ご冥福をお祈りします。
もうだた、そのひとこと。

2010/05/24

ウィークエンド

ルーシー・リーのうつわにうっとりと息をのむ。



極めて禁欲的なのに、とてもとても豊か。
かたちと色が、はじけてまざる。
厳しくも、優しくもある、ルーシー・リーの視線を感じた。

その日は、そのまま最寄駅で下車せずに、展覧会の余韻と、微発泡の赤ワイン、桃色のケーキを抱えて、何駅か向こうに暮らす夫婦の許を訪ねた。
急な訪問だったにも拘らず、食卓はご馳走でいっぱい。
1歳5か月になった娘が、人なつこくて、それはもうかわいらしい。
お酒も大いに進み、あっという間の終電車。
帰宅して、もう一杯とハイボールを拵え、あげく、翌日にうっすらと頭痛を残したことは、ここだけのひみつ。

2010/05/21

鳥、その後

依然として、鳩の襲来が続いており、私の鳥に対する苛々は募るばかりだ。
加えて、区長選に伴う選挙カーの襲来もあって、寝覚めは頗るよろしくない。

選挙カーの襲来は、期間限定であるけれど、鳩の襲来は、鳩様の気分、鳩様のみぞ知るところにあり、いつ終わるとも判らぬ。

「これを期に朝型の生活を」と考えぬわけでもない。
しかし、朝型の生活を志向することは、結局のところ、睡眠時間を削ることでしか成立しそうもない。
うむうむ。

2010/05/15

ゴールデンウィークに出掛けた横浜中華街で、ぼとり、と糞が私のコートの袖口に落ちてこのかた、どうにも鳥との相性がよくない。

昨日だって一昨日だって、「ううー、ううー、ううー」という薄気味悪い鳩の鳴き声で目が覚めてしまった。
意地で二度寝を決め込むから、寝覚めはよいわけがない。

むしゃくしゃとする。
鳥が憎くてしょうがない。
もう思い切って、鳥という鳥を食べてやろうか、などと考える始末。

でも、鳥からも憎まれて、また「ううー、ううー、ううー」とやられてもかなわない。
だから、鶏肉、それもささみあたりを食すのみにしておこうか。
あいだにチーズと大葉を挟んで、フライにするのがよいかもしれない。

追記(5/15 11:30)
今朝も「ううー、ううー、ううー」と薄気味悪く鳴く鳩がベランダにやってきた。
あと二時間は寝ていられる、という平日の朝に鳴かれるのも苦しいが、今日はあと何時間でも寝ていられる、という休日の朝に鳴かれるのも苦しい。
窓を開けベランダにいた二匹の鳩を追い払い、再び布団に入っていると、また「ううー、ううー、ううー」。
もう一度窓を開け、おもわず「あなたがたはなんなのか!?」と叫んでしまう。
ばさばさばさと飛び立ち、電線に移った鳩と、目が合った。

2010/05/13

ピート

先月2歳になった、我が実家の愛犬ピート。
少しだけ、落ち着いたようにも見えました。





朝晩の散歩は、大変に気持ちがよかった。
ちなみに、写真でピートを連れている、ピンク色のパンツを穿いた男性は、父です。

2010/04/22

起き上がりこぼし再び

夏日から一転、冷たい雨。
着て、更に着て、街に出る。

起き上がりこぼしのような格好にうんざりしながら、漸く手元に届いたベストセラーの三巻目の頁を、ゆっくりと慌てず、急がず、繰っている。

その中にマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』に関するくだりがあり、“刑務所に入るか、どこかに長く身を隠すような機会でもないと、それを読み通すことはむずかしい”というようなことが書かれていた。
私はぼんやりと、かつてのアメリカでの生活をおもいだした。
アメリカでの生活は、もちろん、刑務所に入るのとも違ったし、身を隠すようなものでもなかったけれど、プルーストを読むのにはうってつけのようにおもえた私は、わざわざそれをスーツケースに放り込んで持ち込んだのだった。
しかして、アメリカでの生活は、刑務所に入るのとも違い、また、身を隠すようなものでもなかったからなのか、結局私は、プルーストを読み通すことはなかった。
読み通すどころか、「スワン家のほうへ」で早々に脱落した、というのが、ほんとうのところである。
間違いなくその年は、それまでの人生で一番多く本を読んだ一年であったから、私が今後プルーストを読み通す可能性は、極めて少ないであろう。
それこそ、刑務所に入るか、長く身を隠すような機会でもない限り。

明日もこの陽気が続く、という。
二の腕だの肩だのの皮膚を布で覆わずとも外に出られる、そんな季節が待ち遠しい。

2010/04/16

4月の起き上がりこぼし

よもや4月の半ばの東京で、着膨れ、起き上がりこぼしのような格好をすることになるとは。
甘さの感じられない寒さである。

「春先に厚着なんて野暮」と、早々に冬物をクリーニングに出してしまった自身を、3月の末からこのかた、何度呪ったことか。
寒気と暖気の勢力が軒並み平年よりも強い、というのが、気温の乱高下の原因らしい。
今晩は雪の降る可能性さえあるという。
そうなると葉桜に雪。
風流といえなくもないが、勘弁して欲しい。

2010/04/11

お薬師さんとマカロン二つ分のお祝い

29歳になりました。

その日になる瞬間を仕事場で迎え、やれやれ、とため息をついたものの、なにやかやで誕生日はよいものですね。

終電、深夜の桜の国、中野の街。
少し遠回りをして、満開の桜を見上げながら、帰宅。
“お薬師さん”梅照院の古木も眺めます。
お薬師さんの境内、桜の頃は、何度も何度も何度だって訪れてしまう。

いつものカフェのいつものランチには、迷わずケーキをつけます。

デザイン事務所に所用で出掛けた帰り道、閉店間際の西武百貨店ピエール・エルメにて、ローズとショコラのマカロンを購入。

入稿作業を手早く済ませ、帰路に就き、また中野の街で遠回り。
お薬師さんを抜けて、この日二度目の帰宅。
マカロンとミルクたっぷりのカフェオレで、ランチのケーキに続き、こちらも二度目の、ささやかなお祝い。


やはり、誕生日はよいものです。
ひとり上手の感が否めませんが、それすらも悪くはない。

“若さ”や“未熟さ”が称揚されがちな現代日本において、それらをゆっくりゆっくりと失いつつあるのだな、と感じています。
しかし、25歳より26歳が、27歳より28歳が面白かったような気がしており、29歳、そしてその先にも、漠然と期待すらしている。
もちろん“老い”に対する恐怖感がないというわけではありませんが、時の流れは不可逆で、誰にでも平等だとも言える。
だったら楽しんだ者勝ちなんじゃないかと。

“成熟”もきっときっと楽しい。
明るい気持ちに満ちた、29歳の入り口です。

“おめでとう”のメッセージをくださったみなさまに最上級の“ありがとう”を。

2010/03/27

昼下がり

妊娠9か月の友人からのメールに、こんな一節が。

“今生まれてくる人のために、チェストの引き出しを一段空けてあげていた”

ぱんぱんに膨らんだお腹をいつくしみながら、布の山に囲まれる彼女が目に浮かぶ。
美しい行為。

春の陽気も手伝って、柔らかい気持ちになる。

2010/03/21

29歳のヤキニクエスト

29歳になったばかりの友人と、29歳を目前の私の“真ん中お誕生日会”を鹿浜スタミナ苑にて決行。
29歳の一年は、肉を喰らって喰らって喰らうのだ、と決めていた私。
その記念すべき一軒目に不足なしの有名店。

強風が吹きすさび、骨の髄まで寒さが凍みる中、ただ只管に待つ。
それは苦行以外のなにものでもない時間でした。
書籍を持参しておりましたが、あまりの寒さで集中力を欠き、頁を繰ること能わず。

行列の最後尾についてから2時間40分後、やっとのことで、店内に入ることができました。

店員さんの助言を受けつつ、我々がオーダーしたのは、以下。

上タン塩
上ハラミ塩
中ロース
上ヒレ
並切り落としカルビ
ミックスホルモン塩
あぶりレバー塩
テグタンスープ
コムタンスープ
キムチ
生野菜
生ビール
マッコリ






(上から、上タン塩、並切り落としカルビ、上ヒレ肉)

美味しかったです、実に。
ホルモンが得意でない私も箸が伸びる新鮮さ。
生野菜(チョレギサラダ風)やスープ類もなかなかでした。

しかし、2時間40分の待ちや、都内とはおもえないアクセスの悪さを勘定に入れると、二度目の来訪は躊躇ってしまうかな。

2010/03/17

MITTE

先だっての日曜、中学の同級生が主催しているギャラリー「MITTE」にお邪魔しました。
展示が変わる度に丁寧にお知らせをいただいていたのに、行けずじまいで1年余。
その不義理をやっと果たせたばかりか、実に愉快な時間を過ごすことができました。
何年も会っていない故の緊張感は、すぐに安堵感に。
日が暮れてすっかり真っ暗になるまで、気どらない場所で気どらない仲間と、まるでちいさなちいさな同窓会を開いているようでした。





“SET YOU FREE”と題された今回の展示は、額縁とイメージで構成されており、地域のゴミ拾いに参加らしい地元の子供たちが、その帰り道、覘きにきていたのが、大変に印象に残りました。
帰省の際の楽しみが、またひとつ、増えました。

2010/03/05

ミレニアム、更新更新、勝ち戦

早朝5時、スウェーデンのミステリ、『ミレニアム1』読了。
下巻に入ってからはもう、夢中で頁を繰りました。
眠気はちっともやってきませんでした。

私の読書の傾向もだいぶ変わってきています。
心境の変化か。
そういえば、黒を纏う日数も極端に減ったようにおもいます。

変わっていくことを認識し、自身を更新することに臆病にはなりたくないな、などと考える春の入り口。

“ようこそ、最新の私 明日にはもう居ないひと”

2010/02/22

インフルエンザ、その後

本日、仕事に復帰いたしました。
咳こそ残ってしまいましたが、概ね快調。
昨日あたりから、味覚も完全に戻ってまいりました。

一番辛かったのは、筋肉の痛みによる全身倦怠感でした。
実は今回、発症からインフルエンザと診断されるまでの時間がこよなく48時間に近かったこともあり、タミフルなどの抗ウイルス薬は服用しませんでした。
解熱剤が効き、発熱は39.1℃をピークに下降線を辿ったのですが、諸症状の完治には時間を要したようにおもいます。
おもいきって抗ウイルス薬を服用するのがよかったかもしれません。

あたりまえがあたりまえにできなくなると、健康のありがたみを感じます。
健康、という概念を意識せずにおられることが、健康である、とも言えますね。

2010/02/17

五輪週間にA型

日曜夕刻から体調を崩し、咳、発熱、悪寒、頭痛、関節痛という風邪の諸症状に苦しみました。
月曜はやむなく会社をお休みし、五輪をテレビ観戦することも、読書に勤しむこともなく、ひたすらじっ、とお布団の中に。
夜半には熱も落ち着いてきたので、やれやれと一安心。
しかし、翌朝、体温計に並んだ数字に目を疑いました。

39.1℃。
これは、まずい。

起き上がるのも一苦労でしたが、会社にもう一日お休みする旨を伝え、着膨れ、マスクを着用し診療所へ。

受付を済ますと、早速インフルエンザ検査ということで、鼻に綿棒を突っ込まれました。
10年ほど前に、インフルエンザを罹患した経験があり、そのときの症状に比すると、幾分か楽だと感じていたので、まさか自身がインフルエンザであるとは疑わず。
しかし、5分ほどすると、聞いていた診療室とは別の場所に呼ばれ……ん?
もしやこれは隔離?

嫌な予感を本物にしたのは「インフルエンザA型陽性でしたよ」とにこにこしながら入ってきた医師。
私が呆然としている間も、にこにことされていました。
「いつ出社できますか」という私の問いに「今週は絶望的だね」とにこにこ。

不調がインフルエンザとラベリングされると、途端に心細くもなります。
何も食べないというわけにもいかず、重い身体を引き摺って、台所に立つ切なさよ。
“ひとり”はこんな時、億劫で厄介。

しかし、こうなったらと開き直って、今や五輪のテレビ観戦や読書に勤しんでいます。
昼夜を気にせずにこんなに寝たのは学生時代以来かもしれない!

2010/02/09

ブルガリのショコラ



松茸と焼酎のショコラ、1粒1500円。

どうやら上司がどなたかに頂戴したらしいのですが、なにをおもったか、「ご自由にどうぞ」という付箋が貼られ、えびせんべいと並んでお茶請けコーナーに。
目敏く発見した私は快哉を叫び、叫びにつられ、部内の女性全員が集合。
重厚な箱に納まっていた10粒が、あっという間にそれぞれの胃袋の中に納まりました。
ほんのりと鼻に抜ける松茸の香りにうっとり。
とはいえ、1500円はいくらなんでも高すぎる、というのが率直な感想でもあります。
ロゴと金箔がその価格の大部分を占めていたりして。

2010/02/07

春が立ち、如月、着更着

如月、着更着。
着て、更に着て、着膨れて、街に出て、ビルの谷間を吹き抜ける風に身体ごと浚われる。
えい、ままよ。

でも、暦の上では春が立ち、昼の長さが夜の長さに徐々に近づいていくこの季節は、心持ちごと明るくなっていいですね。
痺れるほどの寒さは敵わないけれど、あと少しあと少し頑張ろう。

2010/02/02

温暖な土地で生まれ育ち、また、ウインタースポーツの類にも縁がないので、雪にはまったく免疫がない。
音もなくちらちらと白いものが舞い落ちるさまは美しいけれど、一緒に凍えるような寒さを連れてくるから敵わない。
それでも、降り積もったそれがあっという間に消滅してしまうと、一寸、惜しいような心持ちになる。

2010/01/25

ロメール、茅ヶ崎、IMAX

そういえば、エリック・ロメールが鬼籍に入りましたね。
校了作業のさなかに知ったのですが、慌ただしさに、その記憶ごと流されていました。
その校了作業も、つい今しがた一段落。
あとは幾許かの出稿物の確認を残すのみで、帰宅の足取りも軽やかです。

校了作業に追われていたとはいっても、週末はしっかりと確保。

土曜は、妊娠6か月の友人を訪ね、茅ヶ崎へ。
彼女のお腹は一目でそうとわかるほどに、大きくなっていました。
淹れてもらった珈琲は、たいそうおいしいものでした。
帰宅した旦那さまも加わって3人、とりとめのない話を。
彼らは畑を耕し、うたをうたい、タブラを叩き、そうして生活をしています。
こう書くと、彼らはまるで現代人ではないように響きますが、ある意味に於いては、現代人たる現代人でもあるのでしょう。
日が暮れると、彼らはとかく眠たそうに見えました。
私はちっとも眠くなどなくて、しかし、日が暮れたら眠気を覚える、という彼らが(或いは、彼らの正しさが)ともかく眩しかった。

日曜は、遅ればせながら川崎にて「アバター:IMAX版」を鑑賞。
映画というより、それは最早アトラクションという印象を受けました。
脚本はともかくとして、映像体験としてのインパクトは筆舌に尽くしがたいものがありました。
観てもいいかな、とおもっている方、観てもいいんじゃないかなとおもいます。
そして、観るならやはり、IMAX版をおすすめします。

2010/01/18

うっすら、宿酔

久しぶりに、朝方まで飲み続け、始電車で帰宅。
大変楽しい酒の席だったもので、うっすらとした宿酔が、どちらかといえば小気味よく、布団に包まっていたら、日曜の大方が仕舞いになった。

たまには、宿酔も悪くない。
ひどいものになると、世の中の酒という酒が恨めしいような心持にすらなるが。
それでもつらいのを抜けると「次回はあの店で是非あのお酒を」などと考え出す始末。

昨晩、お付き合いくださったみなさま、また美味しいお酒を飲みに出掛けましょう。

2010/01/16

横浜海月的交遊録

1月9日(土)
14:00 みなとみらい駅美術館口集合
14:05 横浜美術館開館20周年記念展「束芋 断面の世代」鑑賞
16:00 美術館併設のカフェにて、喫茶
18:00 赤レンガ倉庫「BEER NEXT」にて、夕食
22:00 関内駅近くの居酒屋で、締めの一杯
23:40 散会

5分前には遅刻の常習者を含む、全メンバーが集合。
少しの緊張とたっぷりの期待が窺える。

美術展については、リス美ちゃんのブログmisalogに詳しい。

“断面の世代”とは、よく言ったものだ。
モダニズムが団塊なら、ポストモダニズムは断面。
では、ポストモダニズムのその先は?

美術館から、赤レンガ倉庫までゆるゆると歩く。
スカイスクレイパーと観覧車、遊具類の賑やかな光、ベイブリッジ、ショッピングモールに広々とした道路。
都心とは決定的に違うその景観は、海外の大都市を想起させる。

ちなみに、タイトルにある“海月的”とは、東村アキコ先生の『海月姫』より、うんぴちゃんが命名。
赤レンガ倉庫「BEER NEXT」にて、ビールを飲みながら、「ぬおおおっ!!」だの「ぴょえ☆」だの、まやや様や総理の擬態を繰り返し、くらぴょん派とシュウシュウ派とで、火花を散らす。
ビールもさることながら、ビアホールにしては食事もしっかりしており、満足。

まだ飲み足りないね、と、居酒屋を物色し、締めの一杯をいただく。

JR関内駅にて散会。
手を振る。

帰りの終電車も、余韻で大変に愉快。

充実した休日でした。

2010/01/15

夢見る、啓蟄の時

「この強烈な寒気も、あと数日で抜け、その先には暖かな日差しが待っている」と、女性アナウンサー。
私は、ほっと胸を撫で下ろす。
このまま寒気が居座り続けたら、私はずっとずっと眉間に皺を寄せ続けなければならない。
そのうち南の島への移住を、本気で考えることだろう。

暦の上の大寒を乗り越えると、春が立ち、雨水、そして啓蟄。
冬眠していた虫が、もぞもぞと穴から這い出てくるその頃、桜の時を目前に控えたその頃を夢想しながら、あと何度か、南下するであろう寒気をやり過ごそう。

2010/01/08

お正月

犬の散歩、箱根駅伝テレビ観戦、食べて寝て、また食べて寝て、箱根駅伝テレビ観戦、犬の散歩、食べて、寝て、犬の散歩。
私のお正月は、そうして過ぎてゆき、中野と吉祥寺を往復する、いつもの日々が戻ってきました。
今月は、校了させる冊数が、普段の倍である為、仕事初めからなにやかや慌ただしく、実家で呆けて過ごしたお正月は、半ば強制的に、思い出に変換されました。

しかし、お正月はいとおしい。
お正月はいいものです。
年の瀬、あんなに逸っていた心が、すとん、と納まって、つるん、と炬燵に納まるお正月。

気が早い私は、既に次のお正月が、楽しみでならないのです。

2010/01/02

謹賀新年

あけましておめでとうございます。

例年の如く、いつもの仲間と、節操無く、鐘を撞き、その足で神社に詣でるというコースを辿り、新しい年を迎えました。

昼には市野さんがやって来、愛犬の散歩をしたりだの、アルバムを眺めたりだの、すき焼き鍋をつついたりだの、我が家を満喫。
メインイベントである書き初めに夢中になり、気がつけば深夜。
しかし、書き初めというのは、シコウ(思考・志向・指向)を整理するのにうってつけで、大変に面白かったです。
“日日平安”には、まだ少し早すぎる、ということで、“飽くまで進化”と書いてみました。



あくまで、飽くまで、悪魔でも前向き。
あくまで、飽くまで、悪魔でも進化。

一年の計は元旦にあり、と言いますが、なかなかに楽しい一日でした。