連綿と繋がっているなにか、それは生命のダイナミズムとでも呼ぼうか、その最後の一片が“私”である。
西武新宿駅の改札まで歩く道すがら、上気しながら友人としていた他愛のない会話が、そこに行き着いた。
友人は「私の片手は、確かになにかと繋がっているけれど、もう片方の手を、繋ぐのは、両手を、繋ぐのは、こわい」、そんなことを言った。
ああそうだ、こわいのだ。
かといって、私でしまいにするのだ、と開き直ることもできない。
そして、こわいものは往々にして、強く人を惹きつける。
改札をくぐり、それきりその話を、私たちはしなかった。
今さらな話ですが、このポストにコメントするために書いたメモが、メーラーの「下書き」フォルダに入っています。
返信削除ネットの接続の問題か何かでうまく投稿できなかったんだけど、投稿”しなかった”のかもしれないなあ。
日々がとても楽しいのに(楽しいほど)色々なことがこわいですね。
また、ご飯にでも行きたいです。
なるほど、それはきっと、投稿“されなくて”よかったんだとおもいます。
返信削除ほんとう、またご飯でも行きましょう。