2009/09/27

ストッキングを履く人生、履かない人生

仕事の待ち時間で開いた、とある新書の中で見かけた「ストッキングを履く人生、履かない人生」という言葉。
ぴん、ときた。

私は普段、ストッキングを履かない。
そもそも、持っていない。
皮膚にぺったりと纏わりつく、あの感じがどうにも好きになれない。
ひとつ前のエントリでも触れた、“境界の際立つ”それが得意ではない、という要因がたぶんにある。

しかし、それだけではないようにもおもう。

少し前、仕事のうえで、久しぶりにスーツ着用が求められる場面があった。
私はそそくさとストッキングを買いに出掛けた。
百貨店のSALEワゴンの中から、えいやあ、と一足見繕う。
それを纏った足首が、ロングスカートからいやに白くのぞくたび、所在ない気持ちになる。
身体の一部は、白く滑らかに際立ち、かつ、きつく締めつけられているのに、気持ちはどんどんと所在をなくしてゆく。
ストッキングの記号性が、どこまでも私を疲弊させる。

ストッキングひとつで、こんなにも草臥れ果てて、なんと不自由なことか。
いつか、ストッキングを身につけても、びくともしない日がやってくるだろうか。

いや、願わくば、ストッキングの孕んでいる記号性に、無自覚にはなりたくない。
5年後も10年後も、うまく想像できないけれどその先も、たとい毎日ストッキングを身につける人生が待っていたとしても、ストッキングに慣れることがありませんよう。

2 件のコメント:

  1. 私もストッキングに慣れない(たぶん永遠に)ひとりです。

    レギンスやタイツは大丈夫なのに、なぜだろう?
    不思議ですね。

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  2. タイツ、こよなく愛しています。
    スパッツもすき。

    不思議です。
    それらとストッキングは似ているのに、でも、決定的に違う。
    似て非なるものですね。

    それらとストッキングを明確にわけているのは、布の薄さでも素材や形の違いでもなく、私たちの意識なのかもしれません。

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