カンボジア・シェムリアップに行って参りました。

サンフランシスコでの生活を終えてのち、すっかりドメスティックな日常に浸っていた私にとって、4年5か月ぶりの越境。
憬れたアンコールの遺跡群。
人の造りしもの。
人の造りしもの。
千年前の最先端。
そしてそれを呑み込む木の根、熱帯の森。
そこでは、かつての意味は削がれ、また新たな意味が生まれていました。
トゥクトゥクで受ける風、独特の匂い。
そこにある人々の生活のダイナミズム。
東京とはまったく違った速度で流れる時間は、刺激的で、かつ、愉快なものでした。
体験が思い出に変換されるまでの数日間、すっかり惚けたようになり、社会復帰はなかなかに困難をきわめました。
余談ですが、国の境目を越えると、自らと世界の境目が際立つのは、実に面白いことですね。
自身の存在の不確かさが、逆に境界を際立てるのでしょうか。
自身の存在の不確かさが、逆に境界を際立てるのでしょうか。
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