ここのところ、目にしたいくつかのものに、同じ位相での切り口が見られ、それがフックのようにカチャリとひっかかったので、少し整理してみようとおもう。
ひとまず、キーワードやキーフレーズとおぼしきものを、羅列する。
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『女装する女』(湯山玲子 2008/新潮社)
【以下、一章より抜粋】
女性である彼女たちが、彼女たちの通常着であり、ほぼユニセックスである会社スーツやカジュアルウェアを脱ぎ捨て、女らしいフェミニンな服装、メイクそして立ち振る舞いまで身につけることの気分を、総じて“女装”と言っている。
女性がおしゃれの照準針をフェミニン方向にぐぐーっ、と寄せて装うとき、その心は、ほとんど男が「女装」するがごとくの心境なのだ。
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『VOGUE NIPPON November 2009』
【以下、目次から抜粋】
When His finds Hers
・洗練のセクシーは、アンドロジナスで完成します。
・「&Sexy」が、アンドロジナスの新ルール。
・アンドロジナス・ルックは、“今”を乗り切る新たなロジック。
・メンズスタイルに恋した時代のミューズだち。
【以下、editor's letterより抜粋】
・「アンドロジナス」は「愛」に行きつく?
・人と人の間の境界線をどんどんどんどん近付けて、最後になくしたらどうなるか。
・ドラァグクイーンとして自分と対極にある「性の形」を誇張する表現を試みる。
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『ココ・アヴァン・シャネル』(アンヌ・フォンテーヌ 2009)
【映画レポートより抜粋】
女学生のようなワンピースや時には男物のシャツやジャケットを改造して身につけるのだ。
それは屋敷に出入りする娼婦まがいの女性たちと一線を画すためであり、コルセットのために自由に動き回れない装飾過剰なドレスへの反発でもあった。
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仕事の待ち時間で読んだ新書『女装する女』。
なるほど確かに“女装”という気分を、私たちは楽しんでいる。
奇しくも、“女子会”開催の予定もあって、こくこくと頷いてしまう。
読み止しを頂戴した『VOGUE』。
テーマはアンドロジナス。
簡単に言ってしまえば、男女両性の特徴を持つ、の意。
マスキュリンとフェミニンのものさしの上で、軽やかにファッションをトランスフォームする。
“女装”という気分が楽しめるのであれば、“男装”という気分すら、同じように楽しめる。
そして週末、有楽町で鑑賞した『ココ・アヴァン・シャネル』。
スクリーンには、少年のような格好をした、オドレイ・トトゥ。
それは、100年前の社会に於いては、異物ですらあった。
つまり、この100年で、シャネルのような人物の登場によって、急速にファッションに於いての性差は解体されていき、記号化すらなされた。
革新にしろ、保守にしろ、やりつくされた感が漂った先にある今、私たちが手に入れたものは、境界のものさしの上を気分で戯れる、“気楽さ”ではないだろうか。
街で見かけるスカートを穿いた男性には、スクリーンのオドレイ・トトゥから感じた、切実さは最早ない。
ポスト構造主義のその先を語る上で“気楽さ”というワードは外せない、ということを、つい先ごろ、十年来の友人と山手線を待つホームで分かち合ったが、その感をより強固にする今日この頃。